肘内障 ― 2021年03月01日
朝になっても次女の肘の痛みは治まらず、比較的仕事の融通が効きそうな私が、病院に連れていくことになりました。
昨日の当番医の先生は、レントゲンを診て、脱臼したかも知れないけど、もう入っているから、筋を痛めた可能性があると言われましたが、セカンド・オピニオンを求めることにしました。
私が、軟骨肉腫でお世話になっている大学病院は、紹介状が無いと難しいので、もう一つの私の恩師、軟骨肉腫を見つけてくれた整形外科に行くことにしました。
凄く人気の先生なので、混んでることは覚悟して、そこそこ早く出て、診察開始の30分前に病院に着きました。
しかし、既に20人程の患者さんが…、3時間位待ちそうです。
朝来ている患者さんの半分ほどは、リハビリ外来の患者さんで、もて余す4歳児をあやしつつ、待つこと1時間半程で呼ばれました。
診察室に入って、肘を固定していた添え木を取って、先生に説明すると、「痛かったねぇ、ここ痛い?ここは?」と子供の様子を見ていた先生は、肘を揉んでいて気付いた様で、手首を上に向けさせて、くっと捻りました。
凄く痛かった様で、娘は泣きじゃくりますが、「もう大丈夫だよ、動かしてみて」と言いました。
娘は動かすと痛い記憶があるので、すぐには動かせません。
すると、娘の指先を持って、先生が「ブルブルブルゥ~」と言って手首を振りました。
すると、涙をポロポロこぼしていた次女が、ニッコリ笑いました。
全く痛く無いようです。
結局、脱臼は入っていなかった様で、痛がっていたのは、それが原因でした。
触診だけで解って、子供の扱いも慣れている、人気が良く解りました。
帰り際、先生は覚えて無いと思いましたが、11年半前のお礼を言いました。
軟骨肉腫を発見できたこと、すぐに大学病院に紹介状を書いて繋いでくれたこと、今こうして娘を抱けること、全て先生のお陰だと伝えることができました。
忙しい先生なので、肺転移の件は伝えませんでしたが、ガン発見後を伝えれたことが嬉しかったです。
11年半、軟骨肉腫の発見切除、東日本大震災、肺転移の切除、長女の誕生、定位放射線治療、父親の死、次女の誕生、再び放射線治療、いろいろありました。
本当に…。
左肩粘液軟骨肉腫

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